Rocker and Hooker

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が新譜『ザ・ネクスト・デイ The Next Day 』を突然発表した。こちらの心の準備が整う間もなく、噂は情報となり、そして現実となった。
昨年の衝撃の「引退宣言」。もう音楽を通してクリエイティヴかつイノヴェイティヴな活動を行える自信が無いから、といった主旨の理由によるもの。
長年、彼を敬愛しているので、まぁこの宣言に関しては「そっとしておこうよ!」的な傍観主義を貫いた。この諦観すらも彼の醸し出す〈作品〉に観えたから。シーンから姿を消す訳は無い、間違いなく次の作品を送り出してくれるだろうと信じていた。
いやいや、早かったね、撤回(笑)。あぁ、嬉しい。しかも撤回を証明するレコーディングのニュースが入り始めた時、2倍に嬉しかったのは創作される新作のプロデューサーがトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)だって情報!ボウイの全盛期、最もギラギラしていた70年代を共に演出した敏腕だ。こりゃあもうボウイ、本気だな!って。で実際、この作品。素晴らしかったのである。〈作品〉単体としてだけではなく、〈2013年のこの時代、この音楽シーン、音楽マーケットにおいて、あのデヴィッド・ボウイが発表した作品〉という意味においても。 そうなのだ、良い意味でも悪い意味でも〈メディア化〉していたボウイの、これは新たなる宣戦布告とでも呼べる作品なのだ。既定路線で作られたものではない。勢いで作られた、ゴリゴリの新作。自らがボウイ=メディアを客観的に捉えて、その先に足を踏み込んだ!って感じ。自分で〈デヴィッド・ボウイ〉に乗っかったような。


とにかく『ザ・ネクスト・デイ』、収録された楽曲の1曲1曲がもう素晴らしく完成度が高い。
ヴィスコンティと作り上げた70年代グラム・アエラを彷彿とさせるバタバタとした狂躁感溢れるリズム。そして、そこに乗っかってくるのは緊張感溢れ、性急な、〈ここじゃない!ここでもない!!〉って居心地の悪そうな、あがいてるようにツンのめっていくメロディ。
一方で、スロー・チューンにおいてはボウィ独特の、ヴォーカル・メロディーありき/既定路線のコードにはハマらないっていう唯我独尊かつ至極の美しさを持つ、歌メロがコード進行を引き連れてくるっていう甘美路線が復活&健在。アメリカに寄り添った時期のソウル風味も加えつつね。
実際にボウイが〈世界の先〉を走り続けていた、先見の明を持って音楽を通して世の中に影響を与えていた時代って、5枚目のアリバム『ジギー・スターダスト(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)』(1972年)から14枚目のアルバム『スケアリー・モンスターズ(Scary Monsters )(1980年)、8年間で10枚(!)の間だと思っている。


15枚目の『レッツ・ダンス(Let’s Dance)』に言及しないことには異論もあろうが、これは最もボウイがポピュラーなマーケットで支持された作品として、そして収録楽曲の完成度の高さという意味では評価されるべきものではあるが、前作までの作品の意義とはちょっと異なるので、敢えて外させて頂く(イノヴェイティヴだったのはプロデューサーのナイル・ロジャース/Nile Rodgersのアプローチだった)。この8年間の中でさらに2枚のライヴ・アルバムを発表していて、これもどちらも素晴らしい。そう、何が言いたいかって言うと、まさにこの8年間に在ったボウイの全てのオイシイところが、ボウイ自身を霊媒=メディアとして復興されたのがこの新作『ザ・ネクスト・デイ』なのである。

作品にまつわる詳しい話やデータはこちらのページが解りやすいかも。特にボウイに今まで深く耽溺していなかった方々にとっては。レビューを記載している面々も解りやすいしね。
http://www.davidbowie.jp/

自分の永遠のアイドルはジャム(The Jam)/ポール・ウェラー(Paul Weller)であるのだが、残念ながらそれは世界レベルでは辺境の文化。世界的に名が知られ、文化的な貢献度も高いとされるアーティストで考えると、ビートルズ(The Beatles)と並んで大好きなのが、もしかしてデヴィッド・ボウイかも。クイーン(Queen)やプリンス(Prince)、そしてAC/DCよりも。
そんなことを思い当たらせるに至った数々の記憶と想い出の因子をリコレクトさせてくれた作品、それがこの『ザ・ネクスト・デイ』なんですね。


ボウイを初めてしっかり体感したのは中学校3年生のときかな?
中学校にあがる頃から洋楽ロックのエサ箱(レコード店のストック什器のことですね)を漁り始めるようになって、夢中でカッコ良い音楽の情報を求めるようになって、ボウイの名前も作品も頻繁に散見されるようになっていて。当時のロック・シーンにおいて不可欠な存在であることは理解しつつ、でも何かドロドロして退廃的な、悪いオトナの嗜好する文化を牽引するアーティストに見えていて。どうも敬遠しがちであったのだ。
そんなある日、NHK-FMで放送されていた名物番組『ヤング・ジョッキー』でボウイの曲を初めて耳にしたわけで。そう、音楽誌『rockin’ on』の主宰者=渋谷陽一氏がDJを務めていた、自分にとっての当時のロックの教科書的なラヂオ番組。曲は『英雄夢語り(Heroes)』(どうもこの邦題は苦手です)でした。まさに今回テーマのアルバム『ザ・ネクスト・デイ』のジャケットと地繋がりとなるアルバム『英雄夢語り(Heroes)』(1977年)の表題曲。ほぉッ!?へぇッ!?これがよく名前を見かけるデヴィッド・ボウイなんだ!?あれれ、何か重苦しくって、大げさで、ワザとらしい音楽だなぁ!ってのが最初の感想だったと思います。ボウイは特定のある一時期だけでは捉えきれないアーティストだなんてその時は解らなかったからね。渋谷氏の同じそのラヂオ番組を聴いていて、例えばチープ・トリック(Cheap Trick)の楽曲を紹介された時なんかは「今すぐにでも買いに行かなきゃ!!」って衝動に背中を押された印象があるんだが、ボウイは全くそうではなかった。スルーしちゃっていいかな、っていう感じの方が強かった。 ほどなくしてその想いがガラリと転じて、今のボウイ愛に転じるきっかけとなったのは、たぶんライヴ・アルバム『ステージ(Stage)』へと昇華されたツアー、だからアルバム『英雄夢語り』と『ロウ(Low)』のツアーの映像(1時間足らずに編集されていたと思います)をNHK-TVの名物ライヴ番組(不定期放送)『ヤング・ミュージック・ショー』を観たときだったと思います。
ライヴなんで、もちろんキャリアの代表曲を繰り出しまくり。蛍光灯(かな?)をステージの背景に繊細にかつ大胆に積載し、屹立させまくったクールなセットをしょって、遂に初めて観た動くデヴィッド・ボウイ。高校1年生になっていた自分。初めてボウイを聴いてからたぶん1年くらい経っていたのではないかな。そこまで無関心に通り過ぎてきた(そもそもパンク襲来で、自分の音楽的価値観も変わりまくっていたし、追いかけなきゃイケない情報が有り過ぎた!)ボウイに急激に反応!!だってだって、とにかく曲が良い!もの凄くカッコ良い!そのツアーの選曲は先にも記した『英雄〜』と『ロウ』を意識しつつも、実は盛り上がりの中核を成していたのはボウイの生涯を賭けての名作アルバム『ジギー・スターダスト』からの楽曲であったことが大きい。その後、現在に至るまでの35年間にわたって自分が耽溺することとなるアルバムとの出逢いのきっかけがその映像だ。


ここでジギーも紹介しないとね。
ボウイっちゃあ、皆様、あれですよ。ロック史に燦然と煌めく名作=『ジギー・〜』なんですよ。これはもう全てのロック・ファンが聴いておかなくてはならない名盤ベスト10に入る一作と言っても過言では有りません。
アルバム全編に貫かれた美学と楽曲の美しさ、新しさ、そしてオリジナリティ(1曲だけアルバム・コンセプト上で必然的なカヴァー含む)の鮮烈さは40年以上たった今でも全く色褪せることはありません。いずれの楽曲も様々なアーティストから愛とリスペクトに溢れるカヴァーをされ、そんなこともこの作品の新陳代謝に貢献しており、とにかく〈錆びない〉アルバムです。

でもそんなエピソードも2013年の今、当時のロック/ポップ・シーンを俯瞰出来るからこそのもので。実際、このアルバムがリリースされた当時の日本の洋楽/ロック市場とメディアはそんな上等なモノなんじゃなかったと思う。自分が10歳の時のリリースなんで、リアル・タイムでは得られなかったここ日本とジギーとの出会いって。。。。 このアルバム、改めて正式タイトルを原題で記しますと『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』となります。アルバムはコンセプト・アルバム。異世界/異星からやってきたロック・アーティスト=ジギー・スターダストが自ら率いるバンド=スパイダー・フロム・マーズと共に成功を掴んだ果てに対峙することとなる、現実の厳しさ、空しさ、儚さ、そして迎える挫折と絶望と崩壊っていうのが主なストーリー基盤。ボウイはこの特殊な設定の世界で、思う存分、自我と才能と、それによる冒険を、聴くものまでも巻き込んで堪能する旅へと出た訳です。だからこのタイトルを正しく解釈すると『ジギー・スターダスト・アンド・スパイダース・フロム・マーズ〜その栄光と挫折』が近いはず。でもね、この作品の意図が正しく日本のレコード会社に伝わって無かったんでしょうね。だってリリース当時の邦題は『ジギー・スターダスト〜屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群』(爆!!!!)ってことになっちゃったんだから。タイトルを直訳。作品の内容に対する理解の姿勢ゼロだったんでしょうね。〈コンセプト・アルバム〉っていう概念もまだ日本どころか世界レヴェルでも根付いてなかったと思うし。うん、全くもって勘違いの成せる技の極み、その中で日本でリリースされた伝説のアルバム、そんな日本に初来日したボウイ、それが1973年のこと。


ここ日本では、ボウイってそんな〈誤解〉の出会いから始まってるんですね。まあ、〈誤解〉って時にはもの凄いケミストリーを創りだすので、それもボウイらしいエピソードの一つでもある。
大好きな『ジギー〜』。自分のロック史で永遠の一作。
実際、表題の作品『ザ・ネクスト・デイ』でもカット・アップ的にジギー作品の要素が頻繁に去来する。メロディー、グルーヴ、アレンジ、そして遂に、ラスト手前の楽曲では、ジギーの象徴的なエンディングのショットをチラりと覗かせ/聴かせると、ジギーのアルバムの冒頭を飾る楽曲『5年間(FiveYears)』のドラム・スケールさえも再現!! まぁ、そんな要素も含めて、この新作アルバムに強く傾倒したんでしょうね。とにかく自分の大好きな時代のボウイのテイスト満載なんですよ。『ヤング・アメリカン(Young Americans)』(1975年)、『ステイション・トゥ・ステイション(Station to Station )』(1976年)、大好きな『ロウ』(1977年)、そして『スケアリー・モンスターズ(Scary Monsters)』(1980年)までを俯瞰して。もう、書き上げていたらきりがない。あぁ、この曲のメロはあれだな!とか、この曲のアレンジはあれじゃない?みたいに。


『ザ・ネクスト・デイ』、出足好調でセールス実績も良いらしい。そういう意味では、日本でボウイの美学が正しく理解されるのに40年かかったってことなのかも。映画『戦場のメリークリスマス』と前後したアルバム『レッツ・ダンス』の時にあったボウイのバブル景気はまさにバブル経済を象徴するような妙な現象だったんで、あれを〈理解〉とは呼びたくありません。
本人による衝動がリスナーへバトンとして渡され、それがそのタイミングで正しく解釈されるっていう意味においての〈理解〉。

かたやワン・ダイレクション(One Direction)から洋楽の華やかなる楽しさに導かれるマーケットがあって、そして今回のボウイのこの作品に沸き立つマーケットがある。どうもここのところ元気の無かった日本の洋楽マーケットだけれども、グルグル巡り巡って、また洋楽の華やかなりし時代が訪れると嬉しいな。

このコラムの主旨的にはボウイのファッションの話に言及しなきゃいけないんだろうけど、そこに触れると4ヶ月分くらいの原稿のお話になっちゃうんで、それはまた別の機会に。さらに映画絡みの話もいっぱいいっぱい書かなくちゃならないんでもう2ヶ月分必要かな。うん、自分の血液の中のボウイ色、けっこう濃かったのですな。
今、この瞬間もまた聞いている『ザ・ネクスト・デイ』。
現在の気分はもう完全に十代のロック・ファンです。さすが時空を超えた魔術師だね、デヴィッド・ボウイ。お帰りなさい!!




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