Rocker and Hooker

マドラス・ジャケットを最初に意識したのは13才の頃だ。
当時銀座みゆき通りに出現しはじめた若者達、VANやJUNの紙袋を抱えたアイビー青年達、彼等みゆき族についての記事をメンズ・クラブで見たのだ。
その中でマドラス・ジャケットを着た若者が紹介されていた。その鮮やかなチェックのジャケットとニット・タイに僕は憧れた。僕もいつか大人になったらこんな感じのオシャレをしたいって感じで。
中学1年だった僕はマドラス・ジャケットには手が届かない。その代わりに半袖のマドラス・BD・シャツを新宿三峰で手に入れて毎日着ては洗濯、着てはまた洗濯を繰り返し、1965年の夏休みをほとんどそれ1枚で過ごした記憶がある。
夏休みが終わる頃マドラス・シャツはほとんど色落ちしてくすんだ色に変わっていた。
その後、何となく僕の服装の好みも変わりベルボトム・ジーンズに長髪が主流になった。僕もヒッピーなファッションに傾倒していたからマドラス・ジャケットのことはすっかり忘れていた。
就職をしてしばらく経った夏、原宿のVOICEで古着のマドラス・ジャケットが目に留まりなんだか懐かしさとそのリゾートな感じに惹かれなんとなく購入してしまった。
そのジャケットは随分着た。でもいつもの事ながらどこかに消えてしまった。誰かにあげてしまったのか、捨ててしまったのか?ちょっと思い出せない。20世紀の終わり頃、急にマドラス・ジャケットが着たくなって探したのだが行方不明。
で、ブルックス・ブラザースあたりに行けばあるだろうと簡単に考えていたらどこにも売ってない。
探しに探しまくり、終いにはユナイテッド・アローズの岩城社長(現・相談役)にまで調達して欲しいと依頼。
でも岩城も「そうねえ、最近見かけないねえ」なんて言い出す始末だった。で、知り合いのデザイナーに相談したらインド綿を取り寄せてくれた。
南インドのチェンナイをルーツとするマドラス・チェックはやはりインド産の綿でなければならない。
水洗いするとインド綿は本来の糸の膨らみと柔らかさが独特の風合いを醸し出す。だから、麻や混紡のものはマドラス・ジャケットとは僕は認めない。
で、パターン・オーダーした。20世紀が終わる夏、つまり20世紀の黄昏時、僕はオーダーしたマドラス・ジャケットでひと夏を過ごした。
数年ほど前からマドラス・ジャケットは完全に復活した。いや、サマーウエアとしてむしろ主流と言ってもいい。そうなるとどうもしらけて来る。
で、ここ数年はバテック柄のジャケットをオーダーして着ていた。
マドラスジャケット→バテック。エスニックなものがこのところ僕のサマーウエアの定番であった。
昨年あたりから注目しているのがアフリカンプリントのカンガだったりする。
サマーウエアとなるとやはり夏は日焼けである。で、今年僕は日焼けする事に決めている。
男の美白ってちょっとどうかと思うからね。黄昏時に涼しい風を受けてマドラスジャケットを羽織る。
そして日に焼けた肌を冷ますのさ。
でも,過度の日焼けと火遊びは禁物。(写真はラルフローレンのヴィンテージもの)


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