Rocker and Hooker

今月は「色彩」から思いついた事を書き綴り。 専門的なお話じゃあなくって、あくまで感覚的なお話です。

ROCKER AND HOOKERデザイナーの中野恵介のオリジナル・パッチ・ワークを活かしたプリント・タンクトップの出来合いがあまりにも鮮やかで。あまりにもワクワクだったもので。
異なる色彩やデザイン・モチーフや記号やロゴが、第三者の手によって配置/デザインされることで、全く新しいイメージを持った「作品」として生まれ変わる。まぁ、それこそが中野の真骨頂、他人に真似出来ない、唯一無比の感覚の成せるワザなのですが。彼の手によって完成されたその質感豊かなパッチワーク作品の意匠を、別の何かにそのままプリント作品として転写して、その〈ぬくもり〉や良い意味での〈いびつさ〉までをも表現するのはなかなか難しくて。ましてや紙でなく生地の上でプリントしてその感覚を再現することは到底不可能と思っていて。
ところがお店でも故意にしている職人さん(FUNDOMのフォトTや、今回のマリアンヌ・フェイスフル/Marianne FaithfullのTシャツでも見事な抜染テクニックを見せてくれた!)が困難と思われていた壁を見事にブチ破って下さって!これがもう思わず近づいて触ってみたくなる程の色彩と触感の再現!


う〜〜ん、凄いよね、「色彩」って。人の心を如何様にも大きく動かす力がある。自然と人間がコラボレーションして創りだす世界観。視覚における重要な要素の一つであるし。一方ではそれがあるからこそ、モノクロで表現世界の魅力も増すってのある。モノクロの写真や映画から、その美しい陰影の向こう側にある豊かな色彩を想像するのも楽しいしって意味で。いずれにせよ、「色彩」の起こしてくれる奇跡ってことでは変わりない。そんな風に色彩がもたらしてくれるイメージ、喚起してくれる想像力は、視覚の範疇を越えて、温度や香りの領域までをも支配してくれることもある。 そうそう「色彩」って言えば、ここのところ読み終わってからもモヤモヤの続いている。。。。そうです(笑)!ご想像の通り、村上春樹氏からこの春、唐突に届けられた最新作品『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の事なんかも思い浮かびます。作品の内容はあんまり「色彩」の本質に依るものではないのですが。もっと「象徴的」な意味でのタイトルにある「色彩」ですね、この作品の場合。あんまり書くとネタバレになるんで。。。。 いやいや、評判悪いね、この作品(苦笑)。私の周辺では深い読書家からチョイ噛みの本好きに至るまでおよそ良い評判を聞かない。そんなにダメかな??まぁ、個人的には最終章が必要だった意味だけが「??」だったってもあるけれど。最終章の、そこまで空気のように漂っていたパーソナリティーや無常観が一気に体現化されて、都市における汗や澱んだ空気の臭いまでがわき上がってくるようなあのムワッとした感じさえ無ければ、いつもの村上作品の読後の残り香レヴェルには充分あったと思うけどなぁ。


自分は相当遅れてやって来た所謂「村上読者」なので、読書前の彼の作品に対する過剰な期待感がいつもほんとんど無い。リアル・タイムで追っかけ始めたの、『海辺のカフカ』からだもん(遅ッ!!)。その後、読めるものはエッセイに至るまで全てを読破することになったわけだが。
そもそも彼が作品に持ち込む音楽モチーフが好きになれず、長きに渉って「読まず嫌い」を通していたわけです。20年以上前に結婚した時に家内が『ノルウェイの森』を持ち込んで来た時も「ゲゲッ!?こいつハルキストかよ!?」って退いたくらい(苦笑)。ええ、読みましたとも、その後もちろん!面白かったですよ。スミマセン、妻。何かご不満でも!?
閑話休題。そう、だから余計な思い込みが無い分、たぶん凄く冷静に彼の作品に向かい合えて来た気がする。これはあれだね、当店オーナーがリアル・タイムでビートルズ(The Beatles)を聴いてきたんで、いちいち作品ごとに上がったり落ちたり(『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー/Strawberry Fields Forever』のリリースの時なんて「もうビートルズはこれで終わった!」って思ったらしい)してきたのに対して、自分はその10年後、ビートルズが解散してから登場したファンなので、最初っから作品に対して客観的、素直に好き嫌いで臨んで来られたっていう立ち位置の差と似ているかも。時代背景とか余計なノスタルジーが皆無で、沢山のカタログの中から純粋に「好きな作品」を選べるし、単純に「美しい瞬間」に向かえてきたっていう自分。


だから村上作品もいっしょ。『風の歌を聴け』の次に『ねじまき鳥クロニクル』に行って、そこから「羊男」のシリーズに向かったその後に『アンダーグラウンド』を手に取る、なんて熱心なファンの方が卒倒しそうな読み方をしてきたわけだ。うん、自分もたった6枚しか無いジャム(The Jam)のオリジナル作品に関して、初聴きの方が最初に『ギフト(The Gift)』に行って、その次に『モダーン・ワールド(This Is The Modern World)』と行かれた日にゃあ。。。。ってことと一緒だろうな。 でもね、そういう事から意外に熱心なファンが気付けない本質も見えて来たりするんだよね。自分もジャムの多くの駄曲(スミマセン!)に異常な思い入れを持っていたせいで、それに振り回されて、その後のポール・ウェラー(Paul Weller)の活動の方向性の真意を見抜けなかったりしたこともあったし。話がビートルズからジャム〜ウェラーに飛んじゃったけれど、再び閑話休題。

実は自分は最初に翻訳小説から村上春樹の世界の扉を開いたんです。
J・D・サリンジャー(J・D Salinger)、F・スコット・フィッツジェラルド(F・Scott Fitzgerald)、トルーマン・カポーティ(Truman Capote)、そしてレイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)にレイモンド・カーヴァー(Raymond Carver)。ある日の事、自分が敬愛して止まない作家達のその作品の多くを村上氏が翻訳作品として世に問い直しているのを知ったときに本当にビックリした。ソワソワした。まさに価値観転換、パラダイム・シフトである。だってそうでしょ?これって氏に対していささか失礼な表現をさせて頂ければ「趣味が合うねぇ!」ってことじゃないですか!って事は当然、オリジナル作品も??俺の好みなんじゃないの??大好きな音楽アーティストの曲をカヴァーしているアーティストがいたらその人のオリジナル作品を聴きたくなるってのと一緒でしょ?
そこからなんですよ、私の村上体験。



自分にとって「村上春樹」とは〈時間と空間を提供する無機質な入れ物〉っていう解釈なんです。そういう意味では翻訳小説から入って行ったのは究極の出会い方だったなって思ってます。初期三部作も、『ねじまき鳥〜』も『〜カフカ』も『ノルウェイ〜』も『1Q84』も、話題作/ヒット作、エッセィまでも全部、前記の通念でとらえて読んできました。で、尚それでもその解釈は変わっていない。もちろん自分にとっては良い印象のものでもあります。あぁ、『1Q84』なんてその際たる作品じゃないかな?自分にとっての「村上春樹」っていう意味では。余談だが、この作品の3作目が必要かどうか?という検証と、今回の『色彩〜』における最終章の在り方についての検証は少し似ている。 結論。そんなわけで自分は『色彩〜』、けっこう好きです。ムードが。香りが。湿り気が。もともとあのくらいの感じじゃないのかなぁ、村上作品って(失礼!)。うん、自分にはやっぱり出版された瞬間の時代背景が過去作品には伴って来てないものが多いから、その辺が問題なのかなぁ?正しい解釈じゃないのかなぁ?そうすると評論にはいつも時間を隔てて二種類必要になるね。で、作品に向かい合う人がそのどちらかを選べば良いんじゃない?もちろん、成長や生活環境の変化に伴って個人の感想も変化して行く訳だしね。当店オーナーも今では『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』を愛聴していると思う。

本の、村上作品の話が長くなってしまいましたね。
このコラムらしく「色彩」から思いつく音楽の話も、少しだけ。
中野のパッチワークのごとく、異なる個々の色彩/デザイン/記号性が並び合った時にその「行間」に生まれる感覚。そんなものを音楽作品のタイトルと内容の中にも探してみました。ロック限定だけどね。思いつくままに何点か。



まずはローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の『ブラック・アンド・ブルー(Black And Blue)』が真っ先に思い浮かぶ。アルバム収録の楽曲達が醸し出すダークで粘り気があるのに、淡く切ない味わい。黒と青、対比される意味合い、併置される意味合い。見事なタイトル。この薄暗さは夜を待つ闇なのか、夜明けを待つ光なのか。ストーンズ転換期の重要な作品。その瞬間、彼等が臨んでいた彼岸と此岸のことまでにも想像力の羽ははばたいて行く。

そして続いては色彩じゃないんだけど色彩感豊かなタイトル、XTCの『オレンジズ・アンド・レモンズ(Oranges And Lemons)』。モノでも色彩でもどっちでもいいや、想像してみて下さい。オレンジとレモンが盛られたフルーツ・バスケット。これは色彩感のもたらす相乗効果がてきめんに現われる併置ですね。まさに香りまでが想起される。アルバムの内容?そりゃあもう天才ポップ職人XTCが能力とセンスの限りを発揮した傑作サイケ・ポップ作品(ただしオルタナ旋風前夜の1989年当時的解釈)です。

全く補色の織りなす色彩感覚作品を想い出した!ここ日本から、こちらも天才ポップ職人COILの二人による『Orange And Blue』!詩人にしてメロディーの求道者=岡本定義と、職人にしてグランジ感覚の提言者=佐藤洋介の二人の全く異なる個性の対比ともとれるタイトルである。感覚から滲み出る色彩感の対比。補色でありながら鮮やかな併置感を発揮する。繊細でヒリヒリする生命の謳歌と、牧歌的で心地の良い日常の讃歌、その二つの作品世界が共存するこの作品にピッタリのタイトル。

そしてもう一作!意外なところでキャラヴァン(Caravan)なんていかがでしょうか?カンタベリー系のバンドとしての典型的なスタイル。プログレの範疇に入れられちゃうこともあるけれど、基本はジャズ×ロックです。ソフト・マシーン(Soft Machine)なんかと一緒。スタイルやフォーマットにこだわらない自由なロック。ながいキャリアと音楽的スタイルの変遷を遂げて行くバンドの初期作品、3rdアルバムのタイトルがこれまたステキで『グレイとピンクの地(In The Land Of Grey And Pink)』!色合わせでグレイとピンクってしゃれてますよね。グレー系の麻のジャケットに淡いピンクのポロをインナーに合わせたりすると、それだけでもう涼しげで上品な夏のファッション定義の完成。この作品の世界感も全くそれと同様でクールなサウンド・メイクの上にチョイチョイと可愛らしくファンタジックなポップ感覚を垣間見せる。そうした対比と合わせて、リズム、楽曲構成における既存の常識への挑戦状=対立っていう姿勢も美しい。隠れた名作です。


他にもチャーミングなクレア(Clare Grogan)ちゃんが1980年代初頭に率いた時代の徒花=オルタード・イメージ(Altered Image)の『ピンキー・ブルー(Pinky Blue)』やコール・ポーター(Cole Porter)へのトリビュート作品でU2やトム・ウェイツ(Tom Waits)ら豪華アーティストが多数参加したオムニバス『レッド・ホット・アンド・ブルー(Red Hot And Blue)』なんて最高のタイトルのものも思い出したんですが、前作は可愛いすぎるジャケットに対してちょっと内容が残念、後者はもう必聴の名オムニバス盤ですが、やっぱりオムニバス独特の散漫な感じは否めず。。。。聴きたくないアーティストや楽曲アプローチもあって敢えて外しておきます。。。。でもポーター作品を称してのそのタイトルは言いえて妙!至言の極みではありますな。


こうして考えてきてみると、あらゆる芸術のインスピレーションで一番最初にある因子って何だろうって。。。。間違いなく「音」か「色」のどちらかなんだろうなかな。視覚や聴覚に障害のある芸術家だってそれぞれが在れるようなスタイルで至高の作品を産み出している。以前、スティヴィー・ワンダー(Steavie Wonder)にこんなインタビューをしているのを思い出した。「太陽ってどんなものだと思う?」。それに答えてスティーヴィー、確かこんなことを言ってくれていた、「大きくって、温かくって、何か圧倒的な存在」みたいなこと。これってスティーヴィーなりの「色彩感覚」だ!ってその時思ったものだ。

今回は「色彩」のこと、あれこれ思って書いて来たけれど、こちら、芸術を享受する側としては柔軟な吸収力を持って、作品に込められた向こう側の世界、作品に埋め込まれた情報と情報の間の世界、常にそこに敏感になっていたいものです。変革して行く時代に対応出来るようにね。何時の時代でも芸術は時代を映す鏡だからさ。

センスの良い趣味人にとって、厳しい時代は続く。色んな意味で。「色彩」で自分をアげて、日々に立ち向かってまいりましょう。

Keep on rockin’!!




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