Rocker and Hooker

脅威的に暑い日々。梅雨明けの東京、7月。「海の日」明けて、自分は恒例の夏の衣替え。すなわち、そこから2ヶ月間はハワイアン・シャツですごす毎日のスタート。 この季節、そんな自分でも、時にはあるのです。ネクタイを締める日。さすがに酷暑ゆえ、残念ながらそのモチベーションはファッション嗜好寄りっていうよりも、「場」や「状況」の関係で締めねばならぬ!っていうケースが多いんですが。。。。やっぱり根底にいつもあるのはファッションとして享受したいネクタイとの日々なんです。早く秋〜冬にならないかなぁ。。。。


そう言えば、誰が決めたか「クールビズ」の定義。
あれ、カッコ悪いですよね。本来、ノー・ネクタイで羽織るべきシャツや、それにあわせるべきジャケットの形、襟やラペルの形があってこそのファッション・スタイルであったはず。それが、どう考えてもネクタイありきのビジネス・スーツ的スタイル、素材、シルエットはそのままに、ネクタイだけ外す。着用しない。何だか年末のオッサンが忘年会二次会でネクタイ外して頭に鉢巻きしちゃった時のスタイルみたいな、気持ち悪さ、しっくりとこない感じ。首回り、スーツのVゾーンが異様にだらし無いのだ。
クールじゃない「クールビズ」。
もちろんビジネス・シーンでスーツを着用せねばならない方々に対して、この季節に前記のようなファッション・シフトをしている自分が偉そうに何かを言える訳もなく。大変だなぁって理解しつつ。ネクタイ外して、シャツの襟元を開放するだけで相当の冷感アップだもんね。しかしてステキでないことは事実。若いビジネス・マンの「オ洒落君」なんかはきっとこれに抵抗あるに違いない。
うん、だったらエコってことを考えるなら、いっそのことポロシャツとパンツ合わせなんかを推奨すればいいのに!ポロシャツの清潔感をもっと評価して公式なモノにする。ハワイアン・シャツって実はれっきとした正装であるハワイ、かりゆしウェアを官庁の正装とした沖縄、そんな発想と一緒。そのくらいまで突き抜ければ真夏の日本、大人の男のファッション、もっと気の利くものになると思うんだけどなぁ。。。。
西洋圏から仕事や観光でやって来たお客さんから見たら結構奇異なものに写ると思うんですわ、クールビズ。ちょっと前までよく見られた(今も散見)ノー・ジャケットで半袖シャツ&ネクタイっていう夏のサラリーマン風物詩も「洋服文化」においては邪道中の邪道だと思ってたし。
政治が何かを動かせるとするなら、中途半端な提案じゃなく、ファッションの本質にも近接したアイディアをいただきたいものである。


な〜んて社会人のファッション定義について偉そうに書き出してみましたが。
思えば自分が社会人としてネクタイを着用せねばならなかった経験って。。。。厳密な縛りって意味では無かったかも。あッ!もしかしたら最初のキャリアである百貨店勤務の時かな、唯一。しかも短期間。「商品部」っていうバイヤー・セクションで新卒で配属されちゃったって言う妙なキャリアだったんで、いわゆる百貨店の店頭っていうキチッとした佇まいの経験は無かったのだ、そもそも。しかしそんな自分でも、ほら新入社員の店舗研修ってのがあるから1ヶ月くらいは店舗で勉強させて頂く訳ですよ。接客業。うん、これは今思っても貴重な体験だな。いや、百貨店でのキャリア、店頭業務じゃなかったとしても、企画担当みたいな仕事だったとしても。自分の在り様が人様、先輩、同僚、ましてやお客様にどう映ってたのかは解らないけど、今でも百貨店勤務時代に体験した「接客業」としての意義体感は自分の仕事の背骨になっている。うん、間違いない。 で、その新入社員研修の1ヶ月間(4月中旬から5月中旬くらいまで)は、バリバリ店頭。なので百貨店員らしく、なイメージが要求される。当然、ネクタイも着用。ただでさえデザイナーズ系のスーツ着用で店頭で浮き気味(30年前近く当時、百貨店の店頭に黒いスーツを来ている人間は皆無であった。今はどうなんだろね?)だった自分だが、ある日パーティーに着用するみたいなブローチ付きのリボン・タイを着用して行った折、ついに指導担当の先輩社員から教育的指導が発令されてしまったことも(苦笑)。まぁ他の先輩からは、お前らしくて面白いなんても言われましたが、いかんせん百貨店の店頭なもんで。個人のファッション観以前の大問題、大事件なのであった。アホだね、自分。紳士服売り場で指定されたネクタイをもちろん自腹購入。それを着用させられました。その時のネクタイ、何を買ったかも覚えてない。柄も。自分のネクタイにおける美意識にそうデザインのモノでなかったんだろうなぁってことだけは思い出せる。

で、近年の自分。
特別な機会以外ではネクタイを特に意識して着用しなくても大丈夫な仕事が多い昨今なんだけれど、どうも年間を通して最近の方がネクタイの着用率が高いような気がする。うん、好きなんですよネクタイのファッション。だからタイのタイプも数も凄い持っている。人生で一度しか着用してないんじゃないかってモノも多い。なんだか趣味の雑貨感覚で、見てグッとくると思わず購入してしまうのだ。カワイイ!とかキレイ!みたいな衝動。
クィッと結んだだけでこんなに気分を変えられるファッション小物もないと思う。以前このコラムで書いた「巻きモノ大好き!」って感覚の原点。ネクタイ、ポケット・チーフ、そしてピン・バッヂ着用で仕上げのストールは自分のジャケット・ファッションには欠かせない。できれば真夏だっていっしょでいたいのだ。
このネクタイへの偏愛、やっぱり生まれて初めてネクタイを締めたきっかけが、「締めなくちゃ行けない」シチュエーションによるものじゃなくって「締めたい」モチベーションだったからだと思う。だから自分にとってネクタイは何かを律する制度としてあったのではなく、最初っからファッション・アイテムであったのだ。エアロスミス(Aerosmith)のジョー・ペリー(Joe Perry)に憧れでストールに手が伸びたように、高校に入りたての自分はデビュー間もないジャム(The Jam)のポール・ウェラー(Paul Weller)のキリリとした黒い細めのスーツに合わせたネクタイの美しい凛々しさにあっと言う間に心を奪われてしまったという体験。それこそが原点。あんなスーツを着て自分もネクタイを締めたらどんな風な気分になるんだろ?って。どんな自分になれるんだろ??っていう感覚です。


ネクタイとロック。
唐突な提言ですが、やっぱり大事なこの話に触れなくちゃならん。
〈ファッション〉を媒介として、この二つには濃い深い関係があると思っております。特筆しておきたいのは、ネクタイというファッション定義にロックがどんなふうにハズしをかけられるかっていうステキな鬩ぎあいのことかなぁ。「ロックする」というテーゼが「ネクタイ」というテーゼに仕掛けられるモノ。そんな感じで両者をとらえると、これからのお話も解りやすいと思います。
ではいくつかの具体的な例を。

バツグンにステキだったのは先にも話したポール・ウェラー。デビュー当時は10代後半。だから青臭い。その彼が細めの黒いスーツに合わせたこれまた黒い細めのタイ。まさに典型的なモッズ・ルック。街のクールなギャングである。でも10代後半。そう、青臭いのである。ここが良かったな、ウェラーは。自分にとって初めての同世代のヒーローだ。汗だくでステージでリッケンバッカー(Rickenbacker)のセミ・アコースティックのエレキ・ギターをかき鳴らす。マイクに向かって汗と唾を飛ばしながらガナるように歌う。汗でグショグショの白いシャツからネクタイをむしり取るように胸元をはだけてゆくそのライヴでの姿。おそらくそれは自分にとってだけでなく、世界で共通した一つの時代と文化を象徴するアイコンなのだと思う。1970年代、パンクの余韻、ロンドン、怒れる若者、誠実さのもう一つの在り様。あんな風になれるんだったら自分だって。。。。ってこれ、まさにパンクの精神の神髄だよね。

続いては、かつては敬遠し、やがて憧れて、そしてこんな年齢(約50歳)に実際なってみるととても手が届くファッションじゃなかった事を痛感させられたブライアン・フェリー(Bryan Ferry)。彼が在籍していたロキシー・ミュージック(Roxy Music)の中期位から。これまた黒いスーツだ。で白いシャツだ。で、ネクタイ。素材の極めて良さげな、スーツと同系色のヤツをキリリ。もう「素材で勝負」の極み。彼が目指した理想郷(ロキシーでもソロでも「ここじゃないどこか」願望が強く漂う楽曲の世界観多し)の住人。ある意味それを演じる事が彼の人生であり、音楽であったとさえも思う。そう言う意味ではフェリーのファッションは完全なるコスプレである。ロキシー初期の「未来から来たリヴァイヴァリスト」的な奇天烈なファッションを見てもフェリーのコスプレから入る音楽観っていうのは検証済みだ。この写真は敢えて珍しいネクタイ配色のもの、そしてスーツとシャツのものを。彼はボウ・タイ選びもステキ。これは以前のコラムで触れましたね。


ネクタイがいやに印象的なアルバム・ジャケットの一枚に挙げたいのが、これ。


J・D・サウザー(J・D・Souther)の『ユア・オンリー・ロンリー(You’re Only Lonely)』。自分のコラムで取り上げるのにはちょっと異色の一枚かも。シンガー・ソング・ライターやウエスト・コーストの世界観も大好きです、実は。そこへきてもう一票乗ってくる要素が大好きなオールディーズ・チューンのテイストがプンプンの表題曲、循環コードも甘く切ない、至極の1曲。彼とジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)とイーグルス(The Eagles)のグレン・フライ(Glenn Frey)、3人の色男が60年代後半、同居しながらデビューを夢見ながらお互いの音楽観を語り合っていた、そのストーリーは奇跡的な感動に満ちている。このサウザーのネクタイ姿は作品リリース時期に時代を席巻していたA・O・R(略称については諸説在りますが、ここではアダルト・オリエンテッド・ロック、つまり大人のロックとします)をまさにヴィジュアルとして象徴していたと思う。次点のオ洒落サウンド伝導師=スティーリー・ダン(Steely Dan)を率いるドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)の名盤ソロ・アルバム『ナイトフライ(The Night Fly)』はジャケットだけご紹介。う〜〜ん、一家に一枚って言う意味ではこっちをお薦めですね一般的に。


そしてネクタイが持つ権威主義的なイメージや支配主義的なうさん臭さを大いに笑い飛ばすと言う逆説的な姿勢から飛び出したロック・ファッションとネクタイ、これはAC/DCのアンガス・ヤング(Angus Young)のそれでととめをさすだろう。永遠の悪童/スクール・ボーイが「社会」という「学校」で暴れ回る。数々のロックのアンセムの中で歌い謳われてきたこのテーマを身をもって体現し続けるヤング。もはやギャグはパロディーを越えてロックの新しいファッション・スタイルとしての世界共通のアイコンとさえなってしまった。世界中のどこでもいい、あなたが参加するハード・ロック系のフェスで、ジャケットに半ズボン、それにレジメンタルタイってファッションで出向いたら、必ずハイ・タッチの嵐でウェルカムされるはず。全世界共通のパスポート。チャック・ベリー(Chuck Berry)のロックン・ロールのギター・リフと同じ価値観に昇りつめたヤングのファッション。


そして最後はここ日本のバンドを!最高にクールなスーツ&ネクタイのファッションを見せてくれたルースターズ(The Roosters~The Roosterz)!サウンドも最高にクールだった初期はご覧のようなギャング風。それが中期に差し掛かり作品がサイケ&ポップになっていくとファッションの趣味もそれに相成り、ネクタイもポップになっていく。メンバーが変わっていった活動最後期なんて超ポップ。あれッ!?これってビートルズ(The Beatles)と一緒のベクトルじゃん!って。自分が個人的に日本のバンドで一番カッコ良かったと思っている初期メンバーのルースターズ。ギターリストの花田裕之さんの美しさはズ抜けていたなぁ。荒くれモンの博多のリズム&ブルーズ・バンドの一員として登場して、ファッション系のCMにもキャスティングされてしまった佇まいの美しさ。唯我独尊のロック・スタイルです。もちろん今もステキっす、花田さん。。。。



こうして書いてきて。。。。
そうか、解った!
特にここ日本で近年横行していた〈ネクタイ〉っていうマイナス方向の概念をブチ壊すっていうこと。それがどんな形であれ、ニュー・ウェーヴでも懐古趣味でも良いのだ。それがロック・ファッションにおけるネクタイの持つ意義なのだ。少なくとも自分にとっちゃあそうだ。10代の初めっから、50代初めの今まで。ヒーローは変遷していっても、想いは一緒。キリリッとネクタイを締めたときの鏡の中の自分は必ず標準レヴェルの自分の一割増になる気がするってこと。ロックとネクタイの関係論。〈ロック〉が〈ネクタイ〉に揺さぶりをかける因子。

さてさて!
Rocker and Hookerが盟友Rebirth of Futureに別注して製作してもらったネクタイが登場します。これがもう絶品の楽しさとクールさを誇る、まさにロックな逸品。唯一無比のクレイジーっぷり。でもねどこかキュートだったりノスタルジックだったり。これはすなわち、ある意味ではロックの名曲のテイストを構成する理論そのまま(笑)。
流行に左右されてネクタイのデザインや素材、形なんかを選んでいくんじゃあなくって、あくまで「こうありたい!」自分に近づく為の一本として選ぶネクタイ。
熱暑は続くけれどファッションに対する衝動は待っちゃあくれないでしょ。このタイをどのシャツに締めて、上に羽織るジャケットは何にしよう?
そう、やっぱりここでもファッションのワクワクはとまらないのである。








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