Rocker and Hooker

ポール・マッカートニー(Paul McCartney)、最後の来日!って、おいおい。。。。「最後」言うな!って一人つっこみ。
それは尤もなんだけれどね、実は。人は誰も〈老い〉から逃れる事ができない。そして、どんなに栄華を極めた文化も永遠ではない。そう、そこに関わる人間達がそれにとって絶対的なものであればある程。
そういう意味でも、よくここまで続いて進化して拡充していったなぁ、ビートルズ(The Beatles)。それだけ作品と影響力が凄まじかったということだろう。それだけ「かけがえのないもの」であったということだろう。実際今でも知らないしね、アレにかわるものを。
今月はビートルズ関連のイベントのお話をしたいんで、最初にちょっとセンチメンタルだけれど、個人的な彼等の音楽体験の想い出話を。

それぞれの世代であると思う、最初の出逢い、ビートルズとの。
リアル・タイム(羨ましい!)の方、解散後の方、ジョンの悲劇前後の方、ベスト盤『1』からの方、云々。。。。
では自分とビートルズとの最初の出逢いって?
それは1976年のことでした。永遠に忘れないね。ビートルズ来日10周年のタイミングで、過去のアーカイヴや作品が丁寧に整理されて再リリ−スされた年がそこだったんだ。

初めて買った彼等のLPは、バンド最後のリリース作品であった『レット・イット・ビー(Let It Be)』だった。うん、何故だか。あのジャケットのデザインが当時の自分にとって最も象徴的なビートルズのイメージだったんだと思う。一緒にレコードを買いに行った友人が選んだのはビートルズ初の編集ベスト盤的な『オールディーズ(Oldies)』。曲目を覗き込んだら羨ましいくらいにヒット曲満載で、しまった!って思ったな(苦笑)。しかも帰ってからドキドキして聴いた『レット・〜』は何だかとっても地味で暗くて辛くてさ(苦笑×2)。タイトル曲と『ゲット・バック(Get Back)』ばっかり繰り返し聴いてた覚えがある。その〈暗さ〉、バンドの歴史を振り返って作品を鑑みると、それも当たり前だって今なら解る作品だけど、当時は「あれれ?これがあのビートルズの最後の作品(リリースってことでの)なの??」って。
1976年はビートルズの来日10周年ってことで、彼等の全てのオリジナル・アルバム(イギリス、アメリカ、日本で発売された)がキチンと整理されて発売し直されたステキな年だったのだ。LP(もちろんアナログです)の帯の上にはその作品が発表された国の国旗がメンバーのシルエットのバックにあって、盤のコレクター間では所謂「国旗モノ」みたいに言われている。それが発売された年。自分は14歳、中学二年生だった。
夢中で買い漁って聴きまくったビートルズ作品。まずはね、ステキなゲート・フォールドのLP(解るかな??見開きジャケットってヤツだ)から買い始めたんで『レット・イット・ビー』から次に向かったのは所謂イギリス・オリジナルの名盤達では無かったな。アメリカ編集版の『サムシング・ニュー(Something New)』や『イエスタデイ・アンド・トゥデイ(Yesterday And Today)』。後者は見開いたら中は日本語解説が印刷されててガッカリした作品でもあった。『ヘルプ!(Help!)』もアメリカ盤(同名映画のサントラみたいなものだ)の方を選択したもんだから、楽曲の半分が5人目のビートルズと言われた敏腕プロデューサー=ジョージ・マーティン(George Martin)率いるオーケストラのインスト演奏だったんで、これまたショックを受けたものだった。

まぁ結果としては全ての作品を標榜し、体験しながらビートルズの音楽、文化の全体像を把握する事はできたんだけれどね。
当然、その頃は並行して〈元・ビートルズ〉達も新作をリリースをしていたわけで。ジョン・レノン(John Lennon)とジョージ・ハリソン(George Harrison)が他界してしまい、今ではポールとリンゴ・スター(Ringo Starr)の新作しか拝めなくなってしまったけど、自分がビートルズを遡って聴き始めた頃はまだメンバー全員のソロ作品、新作リリースに立ち会えた。でも70年代中盤はジョンとリンゴは何となく休眠、だから自分がビートルズに出逢い、目覚めてからの彼等のソロ作品の最初はポールのウィングスによる『スピード・オブ・サウンド(Speed Of Sound)』、そしてジョージの『33 1/3』だった。初めてジョンの新作のリリース・タイミングに出会えたのは1980年の『ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)』。そう、彼の遺作だった。
とにかく聴きまくって調べまくって、もうビートルズの全てに近づきたいと思ったのが自分の14歳の夏からの濃い一年。一生であんなにビートルズを聴いた一年はなかったな。もう出会う作品や楽曲が信じられないくらいに素晴らしくって、自分の人生の価値観が本当に180度変わってしまった。余談だけれど初めてギターを買ってもらって日本のフォークソングなんかを練習し始めたのもその時。チューリップとかね(笑)。当然、ビートルズ楽曲の弾き語りにもチャレンジ。当時はキーの変調って知識が無くって、あぁビートルズは歌声が高いキーで自分には歌えないなぁって寂しさばっかりだった(笑)。

中二の夏に自分に起こった革命的体験は、高校受験勉強を完全に犠牲にする日々をもたらすことにもなった。もうビートルズから始まって、ロックの全てに夢中になったんだ。1976年の夏に買った『レット・〜』から始まって、明けて1977年の1月にはエアロスミス(Aerosmith)の初来日公演(アルバム『ロックス/Rocks』のツーだ)に行っているわけで。もの凄い勢いと集中力、探求力をもって自分の中の〈ロック観〉が進化を遂げていった時期。勉強なんてやってる場合じゃないよ。自分の人生の価値観の全てが持って行かれてしまった。そしてその1977年の後半にはセックス・ピストルズ(Sex Pistols)を旗頭にパンク・カルチャーがやってきて、自分の生涯のアイドル、ポール・ウェラー(Paul Weller)率いるジャム(The Jam)がデビューする。
何て〈ロック〉が濃かった時期。。。。社会のカウンター・カルチャーの代名詞だったんだよ、ロックが引き連れてくるモノ全てが。
改めて思う。まさに人生の価値観の全てが決定された時期だったんだね。きっかけはもちろんビートルズ。幸せな事に。

ビートルズ解散から半世紀近く、今も尚オリジナル・アルバム作品、関連作品などの豪華盤、復刻盤、音源のリマスター盤などのリリースが枚挙の暇がない彼等である。遺された作品は、もはやポピュラー・ミュージックの枠を超えた一つの〈文化〉として認知されるに至ったと言っても過言ではないんだろうね。

さて今月、ROCKER AND HOOKERとは何かと縁の深い隣接するギャラリーSOCIAL TOKYOで、ビートルズにまつわる大きな話題必至の写真展が開催されますので、最後にそのお話を。

ビートルズの最後のレコーディング作品となったのが、ご存知の通り1969年9月26日にリリースされた彼等の12枚目の作品『アビイ・ロード(Abbey Road)』。バラバラになりかけていたメンバーが最後の力を振り絞ってもう一度結束し、持てる才能の全てを注ぎ込んで創り上げられた作品の内容の素晴らしさについては今更ここで言うまでもないんだけれど、ジャケットに使用された写真のシンプルながらも強いインパクトを残すイメージも、同作品の大きな魅力の一つでもあると信じている。実際、ファンの人気投票でもNo,1のモノだし。そしてその写真の撮影場所(横断歩道ね)には今でも世界中から途切れることなくビートルズ・ファンが訪れて記念撮影をしていきます。そこは、ファンにとってのまさに〈聖地〉とも呼べるスポットともなったのだ。
そこで採用されたジャケット写真は、1969年8月8日の午前11時35分ごろにEMIスタジオのあったアビイ・ロードで、ジョン・レノンの友人であった写真家イアン・マクミラン(Iain Macmillan/ジョンとヨーコの作品『平和の祈りを込めて/Live Peace In Toronto 1969』や『ウエディング・アルバム/Wedding Album』にも作品提供)により撮影されたもの。当初は、ビートルズのレコーディング・エンジニアであったジェフ・エメリック(Geoff Emerick)が 当時吸っていたタバコの銘柄「エベレスト」をアルバムタイトルに、ジャッケット撮影もエベレストで行われる予定だったたしいのだけれど、ポール・マッカートニー(ジョンという説もあり)の 「すぐそこで撮影して、アルバムのタイトルも『アビイ・ロード』でいいんじゃないの?」という発案で、スタジオ前のアビイ・ロードの横断歩道で撮影されたと言うのが通説となっております。
当日、メンバーはこの横断歩道を3往復しました。それぞれの構図が写真に収められたため、ジャケットに採用された写真以外にも5タイプの構図違いの写真があり、さらに『アビイ・ロード』の裏ジャケットに使用されたストリート・プレートを撮影した写真も含めると、所謂「アビイ・ロード・セッション」と呼ばれる関連の写真は全部で7タイプ存在していることはマニアックなビートルズ・ファンなら誰でも知るところ。
その後、イアンにより、『アビイ・ロード』関連の写真作品7タイプはアーカイブ化され、これらの写真はそれぞれ25枚のエディションが作品として全世界の美術市場に登場したのです。そしてジャケットに採用された写真のプリントは25エディション全てがマーケットの中で販売完了しており、今後は個人の所蔵家が展覧しない限り、二度と人目に触れる事は無いものとなりました。シート4の(ジャケットに採用された写真とは)反対向きにメンバーが歩いている2往復目の復路の写真は、古書類競売業者ブルームズベリーが昨年に競売出品し、5月22日に当初予想を大幅に上回る金額16.000ポンド(約200万円)で落札され、大きなニュースにもなったのを覚えてらっしゃる方も多いのでは?

『1969年8月8日@アビイ・ロード』と題された写真展が、先にも記述しましたが、SOCIAL TOKYOで11月15日より開催されます。
出展されるのは前記で触れた7点の写真のみ!『アビイ・ロード』作品の本質に関わる。その作品はイアンがAP作品(*注1)として保管していたものを、彼の死後、彼の遺族が代理人に作品管理を託し、管理者の厚意に寄り販売が許諾され、ここ日本へと渡って来た、まさに奇跡の作品群とも言えるものです。
過去、この7点の写真作品を同時に見ることができたのはロンドンにあるロック・アーティスト専門の画廊「ステップギャラリー」で行われたビートルズ関連のアート展での一度だけ。だから、もちろん、ここ日本でオリジナルの写真作品7点が展示されるのはまさに史上初のことっていうわけです。
驚愕。信じられない奇跡のタイミング!ポールの来日と合わせて、最高のサブカルなネタ一輪。。。。

『アビイ・ロード』、伝説のビートルズが遺した最後の作品。その内容とともにジャケット写真に写し込まれた〈一つの時代の終焉〉の風景は、21世紀、そしてこれからも永遠に古びることのないタイムカプセルの中で輝き続ける〈ある時代の象徴/アイコン・オブ・ザ・ポップカルチャー〉の風景と間違いなく言えるはず。

この機会に〈歴史〉に立ち会わないっていう手は無いでしょ??

*注1
アーティスト・プルーフ。作家がリミテッドエディション以外に、作家本人が所有することを目的にプリントした作品で、通常はマスタープリント、プリントチェック用や展覧会展示作品の為に数点製作する。
その他存在するプリントとしては、PP(プリンターズプルーフ、依頼したプリンターが作家から寄贈されたプリントで通常は1点)。エステートプリント(作家没後、遺族又はファンデーションがプリントするものでリミテッドエディションナンバー、作家サインは無く、作品裏面に遺族、ファンデーション弁護士のサイン署名若しくはスタンプの押印がある。このアビイ・ロード関連の7点の写真に関してはAP作品は一点しか存在しないと見られている。




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