Rocker and Hooker

目標額の100万円が達成したのは1974年秋だった。約1年5ヶ月、ほとんどをコカ・コーラのアルバイトで稼ぎ、それ以外は前述した様々のアルバイトで収入を得た。それからはどうやってアメリカに行くか?当時は「地球の上を歩く」なんてガイドブックは無い。右も左も上も下もわからぬまま、まずはパスポートを申請から始めた。パスポートはほどなく取得で来た。戸籍謄本やら住民票みたいなものを集めに区役所回りしたはずだが、いまではほとんど覚えてない。玉田電(現在の世田谷線)に乗って書類集めに時間を費やした事、その時車窓から見た秋の落日が強力に印象に残っている。

その後、アメリカ大使館にVISAの取得に赴いた。面接官からいろんな質問があった。すべて英語だったから辞書を引いて話しをしたり、随分と時間がかかりどっぷり疲れてしまった。渡航目的は「英語の勉強」と応対した。VISA申請、滞在期間は観光最大の3ヶ月。
そして当時は予防接種(たぶん種痘)が義務づけられていたから、指示された病院で注射を打った。
今から40年前、アメリカに行くには少なくともそれだけの手順を踏む必要があった。そして現金は500ドル(日本円で15万)しか持ち出しが出来なかった。
僕は2,000ドル以上の換金を何回かに分けて行った。トラベラーズ・チェックも含まれていた。500ドル以上の違法の金は腹巻きに隠して持って行けばいい、それを教えてくれたのは新宿風月堂で知り合ったヒッピーUだ。彼は何回か70年代初めに渡米していた。彼から紹介してもらったサンフランシスコの友人(日系人)もいた。その友人にはエア・メイルで手紙を送った。ただ、日本語の読み書きが得意でないから英語で手紙は書くよう指示されていた。その友人から紹介された日系人がいなければ僕はサンフランシスコに行ったかどうかわからない。むしろ僕はLAに行きたかったのだ。なぜなら出発は12月になりそうだったから。サンフランシスコよりLAのほうがはるかに暖かいと聞いていたし。ママス&パパスが「カリフォルニア・ドリーミン(邦題:夢のカリフォルニア」と言う曲でも「もし、僕がLAにいたらこんな真冬の日でも暖かく安全に過ごせたはずだ」と歌っていた。この歌の歌詞は冬の東海岸でLAを思う歌。まさに夢のカリフォルニアと言うタイトルにふさわしい内容だ。僕としてはサンフランシスコでまず英語圏の環境に慣れ、その後LAに行けばいいと考えていた。見ず知らずの土地、しかも初めてのアメリカに多少なりとも(それが紹介であれ)知り合いと言える日系人がいてくれる.......サンフランシスコ.......その場所に行く事が心強く安全策だと思えた。
そして一番安い航空券を手に入れた。CAL。中華航空だ。まだ、成田空港は無かった。羽田発だ。今思えば小さな国内ローカル線のジェットみたいなサイズだった。チケット代金に29万円を払い、それでも当時は安いと思った。今の貨幣価値からしたらたぶん100万くらいの感覚なんじゃないだろうか。

出発の日、友人がふたり見送りに来た。ところが緊張していたせいか、いま思い出してもそれが昼だったのか夜だったのかどうにも思い出せない。そして持って行ったはずの荷物がスーツケースだったのかナイロンのバッグだったのか?そのあたりの記憶も曖昧だ。
初めて乗る国際線、それは思っていたよりずっと小さな機体。足がつかえて伸ばす事も出来ないシートは観光バスほどのリクライニング。勿論、その時代、モニター画面なんかがついている筈も無く、イヤホーンの音声サービスさえ無かったような気がする。今まで飛行機に乗った事と言えばほんの数回。高知から大阪伊丹空港、そして東京高知の往復が一度二度あった程度。たぶん、プロペラ機だった。
サンフランシスコまではサイズは期待はずれだったけど初めてのジェット。給油でハワイ経由。12月の雨期、ハワイ空港から見上げた空からは大粒の雨が。あまりの湿気にハワイってこんなところなんだと失望した記憶がある。給油で待つ事2時間あまり。そして再び機内へ。CALの小さなジェット機は一路サンフランシスコを目指す。空の旅は長かった。それは気が遠くなるほど若い僕には長い時間だった。
そしてついに眼下に大陸が見えた時、太陽はゆっくり西に傾きかけていた。

サンフランシスコに到着し入国審査をすませた僕は暮れて行く空を見上げちょっと不安になった。実際は3ヶ月滞在の間、やる事なんて何も決めてなかったのだ。住む場所さえままならず、その日はまずチャイナタウンにあったホリデー・インに向かった。
決まっているのはここで2泊する事。そして友人Uが紹介してくれた日系人に連絡を取る事だった。いま、振り返ってみてもよくあんな何も無い時代にあれだけ無計画で無謀な事が出来たと思う。でも、決まったレールの上を行くのが人生ではない。無計画に行く道、そこに出会いがあり、発見がある。明日はやって来るのだ。僕の人生航路一人旅の第1歩はあのサンフランシスコ空港に到着したあの日に始まったような気がする。

P.S 3ヶ月に及ぶサンフランシスコの滞在はここでは書ききれない程の思い出がある。いずれどこかでその体験を紹介したい。一部は僕の「元祖TOKYO BOYカタログ」を参照ください。


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