Rocker and Hooker

最近では何でもかんでも「コラボレーション(以下〈コラボ〉)」です。ラーメンや菓子パンに至るまで。カジュアル・ファッションの世界でも類例数知れず。
そろそろ〈コラボ〉という言葉の持つ価値の矜持を正さないと、とんでもないものが登場して来そうだ。政府と自治体の「コラボ産業廃棄物」なんて言い出されたりしたら、もう日本崩壊である。


もともとアート・シーン(ファッションも含めた)で使われ始めた概念だから、アーティスト自身も責任を持ってこの言葉に臨むべきだろう。有名無名に関わらず。そこから始めないと、作品の「背筋」は伸びません。
今年の恒例『24時間テレビ〜』では何とアーティスト奈良美智とアイドル「嵐」の大野智との〈コラボ〉T-Shirtの話題が盛り上がってるらしい。チャリティは素晴らしいが、ここでも〈コラボ〉の使い方が間違っていると思う。奈良氏に「その〈概念〉破壊すらもアートである」なんて開き直られたりしたらそれまでなんだけどね(苦笑)。


気を取り直して、個人的に大好きなファッション・シーンにおける有機的な〈コラボ〉のことを考えてみよう。以前も掲載したけれど、近年一番興奮したのはコム・デ・ギャルソン(COMME des GARÇONS)とジェイミー・リード(Jamie Reid/セックス・ピストルズSex Pistols創世記のアート・ワークを手がけた)によるもの。〈思想〉、〈歴史〉と 〈文化〉、そしてその水面下に脈々と息づく〈憧憬〉と〈尊敬〉の念。作品の出来も含めて最高だったな。
機能主義とデザインの切磋琢磨がスタイリッシュでステキだったのはオーナー氏のハマっていたトム・ブラウン(Thom Browne)とモンクレール(Moncler)のガム・ブルー (Gamme Bleu)のシリーズ。ガム・ルージュ(Gamme Rouge)の男性版として展開。異色の〈コラボ〉は双方ブランドの既成概念を気持ち良くブチ壊す展開で、刺激的でした。


最近ではハイ・ファッションのブランドとマス・プロダクションのショップとの〈コラボ〉(本家で売ってるアイテムの価格帯の1/10くらいの価格となる)なんてのも散 見。これはもう意味が解らない。ファッションの本質的な意味さえ疑いたくなる所業だ。単なる生産と流通のエクスキューズを〈コラボ〉と呼んじゃあイカンでしょ。
もっとも、そもそも〈コラボ〉って言わなきゃ良いんだよね。便利に使い過ぎなんだろうな、その言葉を。上記の廉価版も商品定義としては革命的なものだと思うし。



ちなみに「コラボレーション」をWikiってみると、
『コラボレーション(英: collaboration)は、共に働く、協力するの意味で、共演、合作、共同作業、利的協力を指す言葉。動詞形はコラボレート(collaborate)。しばしばコラボと略される。かつては「初共演」などとするのが一般的だったが、2000年以降に「初コラボ」「異色のコラボ」などの形でPRの際に頻繁に用いられるようになった。今日では、音楽や漫画などの著作物に限らず、企業同士、ブランドと雑誌、ショップの共同企画など、あらゆる分野で「コラボレーション」の語が使われている。さらに、テレビ番組やCM、映画とアーティストとの共同企画にまで用いられるなど、用例が曖昧になっている。』、
だそうです。
やっぱり曖昧になってるんだってさ。


うん、「共同作業」の中に芸術の本質を極める切磋琢磨があってこそだと思う。自分が慣れ親しんだ音楽/ロック・シーンでも様々な〈コラボ〉があったけれど、同様にその意味は作品ごとに様々だ。
さてさて恒例、このマガジン連載らしく、ロック・シーンにおける〈コラボ〉作品の線引きをしてみようかな。本当の意味での〈コラボ〉を見極めてみよう。


色々考えてみたんだけれど、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)という多様な才能を持ったアーティストの作品を振り返って、そこで基準を作るのが最適だと思った。とにかく長い活動の中で精力的に色んな形で〈共同作業〉作品を残して来ている。線引きの基本ラインを構築するにはもってこいのアーティストだろう。先日閉会したロンドン・オリンピックの開会式/閉会式を通して最も多く楽曲を取り上げられたアーティストじゃなかったろうか?あッ!そう言えば、ボウイ、引退!?今後、作品は発表しないって昨年言ってたけど。。。。本来ならオリンピックのセレモニーに登場すべきだもんなぁ。うん、万感の思いでの振り返りかな、それじゃあ(どこかで彼の「引退宣言」を全く信用してない自分がいる←苦笑)。。。。


彼が他アーティストと「共同作業」をして作品を産み出すパターンは、基本的に以下の4タイプに分かれている。これを今では簡単に全部〈コラボ〉ってことにしちゃってるわけだ。



1.〈コラボ〉:これは完全なる感性のブツけ合いとも呼べる高尚な「共同作業」。まさにアート局面において〈コラボ〉と呼ぶに相応しい!
例えばジョン・レノン(John Lennon)を迎えた『フェイム(Fame)』(楽曲)、クイーン(Queen)に参加した『アンダー・プレッシャー(Under Plessure)』(楽曲)、そして自らのアルバムにプロデューサーとして招いたブライアン・イーノ(Brian Eno)との『ロウ(Low)』(アルバム)、『英雄夢語り(Heroes)』(アルバム)。いずれも気鋭のアーティスト達が時代に対峙し、そこを超越した感覚で創り上げられた名作、問題作ばかり。時間は経っても何一つ色褪せた作品は無い。
特にアルバム『ロウ』はまだ東西ドイツを許容しつつ睥睨していた世界情勢における、東ドイツ、ベルリンに対するボウイ独特のヨーロッパ主義的な桃源郷/異次元解釈が素晴らしく、その地味ではあるが他の追随を許さない世界観は至芸と言って過言ではなかろう。


2.〈プロデュース〉:これは、ボウイの価値観の範疇に於ける、相手の世界観の引き出しと顕在化。〈コラボ〉と呼ぶにはあまりにもボウイの世界観が強過ぎ。例えば大好きな大好きなルー・リード(Lou Reed)の『トランスフォーマー(Transformer)』(アルバム)ですらボウイと当時の盟友ミック・ロンソン(Mick Ronson)の手腕が無ければあそこまでの超然とした世界観にはならなかったろう。つまりリードにとってボウイは必然であったけど、ボウイにとってはそうでないってこと。曲が全てリード作品であったとしても、だ。これはボウイの手のひらの上にある作品だと思う。


イギー・ポップ(Iggy Pop)の『愚者(Idiot)』(アルバム/作品提供も)に至っては尚更。この作品には、やがてボウイ自身がセルフ・カヴァーをすることとなる『中国女(China Girl)』なんかも収録されていて、ボウイ自身もお気に入りの一作ではあると思う。(イギー・)ポップとのベルリン蜜月時代にまで至る関係性においても象徴される圧倒的なボウイの世界観が見られる。


3.〈共演&競演〉:これは、言ってしまうと〈価値観〉の交歓というよりも、むしろ何らかの関係性において一緒に演ってみましたっていう作品シリーズですかね。例えば、ミック・ジャガー(Mick Jagger)との『ダインシング・イン・ザ・ストリート(Dancing In The Street)』(楽曲)とか。歴史的チャリティー・コンサート「LIVE8」(2005年7月開催)のため、話題満載の世界中継の為に演りました的作品。ちなみに英米同時中継でデュエットって企画は音声通信技術の不備でオジャン。急遽作ったお粗末なPVでお茶を濁すっていう寂しい逸話つき。
ビックリのお相手にはあのビング・クロスビー(Bing Crosby)とのクリスマスTV特番を音源化した『リトル・ボーイ・ドラマー(Little Drumer Boy)』(♪パパパッパ〜〜ンのスキャットも厳かな、あの曲だ)なんかもある。何といってもクロスビーと言えば『ホワイト・クリスマス(White Christmas)』なのである。ここにあるのはお相手にクロスビーを据えての、ボウイのヨーロピアン・ダンディズムとアイデンティティの行き過ぎの追求でしかないだろう。ボウイの作品として考えなければなかなかの佳作。
余談ではあるが、ボウイのキャリアの最盛期であった80年代の終わりに結成したバンド=ティン・マシーン(Tin Machine)。バンドの1/4として最初期のモチベーションを取り戻そうとしたこの企画。トップ・アーティストのボウイが非武装の「人間=デヴィッド・ジョーンズ(本名)」との〈競演〉を試みたという見方も出来なくないであろう。武道館で見た同バンドのライヴは、空回り感が強くちょっと寂しい内容だった。。。。


そして、最後は禁断の
4.〈お仕事&ウヒヒ〉:日本人で、たぶん40歳以上の洋楽愛好家なら誰もが覚えている、衝撃の美しきボウイ出演のCM楽曲『クリスタル・ジャパン(CRYSTAL JAPAN)』(1980年、日本の焼酎CMのための書き下ろし)。今なら「日本のT焼酎とボウイ、夢の〈コラボ〉!!って絶対なっている企画だろう(苦笑)。この2〜3年後に大島渚が監督した国際映画『戦場のメリークリスマス(Merry Christmas,Mr.Lawrence)』への出演と、ボウイ至上最大のヒット作品『レッツ・ダンス(Let’s Dance)』の世界的大ヒットで自らの伝説的なアルバム『ジギー・スターダスト(Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From The Mars)』を上回る成功と名声を獲得し、ここ日本でも人気のピークを極める事となったことを考えると、このCMと楽曲、単なる〈お仕事〉では片付けられない因縁も感じる。実際、なかなかの雰囲気の作品である。当時のアルバム『スケアリー・モンスターズ(Scary Monsters)』の退廃的な美しさの名残が間違いなくそこにある。
ボウイは実は「お金のため」仕事がほとんど無いアーティストだと思う。時として大物アーティストが明らかにお金儲けの為っていう企画/新人プロデュース/不明な共演に手を染めている事があるが、ボウイ、この辺は潔癖である気がする。
まぁ、余談として軽く流して欲しいのが、時々見られる〈色に目がくらんだ?〉ウヒヒ!な作品(苦笑)。最近でも可愛くてステキな女優スカーレット・ヨハンセン(Scarlett Johansson)のアルバム『Anywhere I Lay My Head』の2曲に歌唱参加しちゃったりしている。パーティーで会って意気投合だって(笑)!ボウイ、1947年生まれ。ヨハンセン、1984年生まれ。御歳の差、37歳。自分はもうすぐ50歳だから、13歳のコと意気投合って計算?「13歳=1999年生まれの著名人」っていうのをググってみたら、知っているコがいませんでしたぁ。。。。ボウイ御大、さすがです。


さてさて!長々と列挙、解析(個人的過ぎる見解もありますが。。。。)してきましたが、これらに基づいて歴史的な〈コラボ〉作品と呼ばれているものを紐解いて行くと、あらッ明確に見えてくる〜!!

例えば〈コラボ〉作品と呼べるもの。
ポール・マッカートニー(Paul McCartney)とマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)との『セイ・セイ・セイ(Say Say Say)』(楽曲)、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)との『エボニー・アンド・アイボリー(Ebony and Ivory)』(楽曲)なんかは典型的ですね。美しくヴィヴィッドなメロディの水面下で双方の才能がヒリヒリと感応し合っている。同じマッカートニー作品でもアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート(Flowers In The Dirt)』(アルバム)におけるエルビス・コステロ(Elvis Costello)との何作品(特に『マイ・ブレイヴ・フェイス(My Brave Face)』は素晴らしい!)は、またちょっと異色の感触だが、間違いなく天才二人の〈コラボ〉と呼んで差し支えないだろう。
他にもジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)がギターリストのパット・メセニー(Pat Metheny)、奇才ベーシストのジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)らジャズ/フュージョン・シーンの希代の才能と組んでリリースされたライヴ盤『シャドウズ・アンド・ライト (Shadows and Light)』(アルバム)のピンッと張りつめた緊張感の中にたゆたう美しさも〈コラボ〉の賜物。
さらには時代を静かに揺るがした、ブライアン・イーノ&デビッド・バーン(Brian Eno & David Byrne)という気鋭の二人による早過ぎた作品『ブッシュ・オブ・ゴースツ(My Life In The Bush Of Ghosts)』(アルバム)なども好例。あぁ、この作品、先月のマガジンの「アフリカ企画」で触れておくべきだった!
同様なテイストの〈コラボ〉として、1980年代にはXTCのアンディ・パートリッジ(Andy Partridge)も参加した坂本龍一の『B-2ユニット』(アルバム)が鮮烈。この作品はY.M.Oの大ヒット作『パブリック・プレッシャー』に対を成すように発表されたが、実際、坂本氏の当時の音楽シーン/マーケットに対するシニカルな想いが結実させた、まさに〈時代〉を象徴する作品であった。音楽的局面のみならず、ジャケット・デザインや作品コンセプトに至るまで、国境を越えた当時の気鋭のクリエイターの参加が衝撃的。そのパートリッジがその後発表したアンビエント・ミュージック界の巨匠ハロルド・バッド(Harold Budd)との『スルー・ザ・ヒル(Through the hill)』(アルバム)もロックからのアヴァンギャルドと現代音楽の進化過程との完全なる融合が素晴らしき作品。パートリッジが坂本氏との〈コラボ〉を経験しなければこの方向性へのアプローチは生まれなかったと個人的に思っている。



続いて〈プロデュース〉って考えてみると。
やっぱりボウイのアプローチに近い「一挙手一投足」への固執っていう徹底ぶりは意外に同性間では少ない。特にプロデュースを受ける相手も現役バリバリのクリエイティヴを掲げていたりすると、複雑な要素が大きい。プリンス(Prince)ファミリーの作品になるのかな。メジャー・ヒットは限られるんだけれども、御大の意志と芸術志向制の赴くまま。見事に「被プロデュース」アーティスト/作品達が生まれ続けた80〜90年代。佳作多し。その後、大メジャーになったアーティストは少ないのだが、実は映画『パープル・レイン(Purple Rain)』(映画/アルバム)制作時のパートナー=ヴァニティ(Vanity)に書いていたと思わしき名曲『マニック・マンデー(Manic Monday)』(楽曲)を、彼女との別離に伴い、映画のキャストもアポロニア(Apolonia)に変更、楽曲はバングルズ(Bangles)に横流し。結果、この曲はバングルズのキャリアを決定づける大ヒット。映画では同じような四つ打ちポップス『テイク・ミー・ウイズ・ユー(Take Me With You)』(楽曲)をアポロニアとデュエット。明らかに元々このシーンではプリンスとヴァニティのバイクのタンデムで、BGMは彼女が歌う『マニック・マンデー』だったんだろうなって邪推も楽しい。
こんな具合で思いついたのは、あれれ??〈ウヒヒ〉系が多くって(苦笑)。もちろん、個々の作品は圧倒的に素晴らしいのだけれど。セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg)とジェーン・バーキン(Jane Barkin)もそう。レニー・クラヴィッツ(Lenny Kravitz)とヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis)もそう。


〈競演/共演〉はどうだろう?
実は意外にも筆頭で思い出した大好きな作品がマシュー・スウィート(Matthew Sweet)と先に上げたバングルズのスザンナ・ホフス(Susannna Hoffs)という異色の組み合わせの二人によるカヴァー作品集だ。選曲、アレンジ、文句無しっていうか素晴らし過ぎ。これを〈競演〉と呼ばずしてどうする!な傑作が2シリーズ出ています。双方が出過ぎずやり過ぎず、まさに好感度大の〈競演〉作品。全てのポップス・ファンにお薦め。
アルバムの中でオムニバスっぽい形式で、等しく同じベクトルの価値観を持った異端のアーティスト達が創り上げた名作中の名作としてジス・モータル・コイル(This Mortal Coil)名義の4ADレーヴェルの名盤達がある。


これはある意味、理想的な〈競演/共演〉作品。個々は独立して美しい色彩を無秩序に放ち、結果、それが作品全体としての大輪の花と昇華されている。こちらは全ての耽美派ロック・ファンに捧げたい。
加えて触れておくとしたら、本来〈コラボ〉になるはずだったのに、残念ながら〈競演/共演〉留まりになった作品達のこと。
例えば、U2とグリーンデイ(Green Day)の奇跡の共演『セインツ/アー・カミング(The Saints Are Coming)』(楽曲/大好きなCXの競馬番組のエンディングでも有名な曲!)。スキッズ(The Skids)のスマッシュ・ヒット曲を、ハリケーン・カトリーナで被害を受けたニュー・オーリンズのミュージシャン達救済のためのチャリティー・ソングとしてカヴァー。超話題の両者だが、楽曲制作の〈目的〉が色んな意味であまりにもハッキリしすぎていて、残念ながら音楽的な刺激を残すには至っていないと思う。つまり〈共演〉だ。
もう一つ、ルー・リード(Lou Reed)とメタリカ(Metallica)による『Lilu』(アルバム)。前にこのマガジンでも触れた一作。強烈な個性の両者、これは世間的にも超話題となった、記憶に新しい昨年作。う〜〜ム。。。。〈競演〉止まりかな。基本的な感触はリードの新作のバンドをメタリカが務めたっていうもの。あまりにもリード御大の横綱相撲にメタリカ、サウンド以上の音楽個性を発揮出来ずっていう感じ?〈コラボ〉とは呼びたくない。うん、そういう意味では簡単に〈コラボ〉って呼んじゃう、無反省で危険な領域の作品かもね。


〈お仕事/ウヒヒ〉はもう良いですよね(苦笑)?何が良いたいかは解って下さると思ってます。意外にここに名作が多いってことのも御留意下さい!!


最後に、〈コラボ〉でも上記の例に当てはまらないのが以下のタイプ。
英国ではスミス(The Smiths)とサンディ・ショウ(Sandie Shaw)によるスミス曲のカヴァー。米国ではブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)のプロデュースによるゲイリー・US・ボンド(Gary U.S Bond)の復活作品なんてのも。いずれもかつて憧れたアイドルを人気絶頂の新世代がその復活のお手伝いっていうヤツだ。
まあ逆のパターンとして、中には旧世代でもニール・ヤング(Neil Young)と新世代パール・ジャム(Pearl Jam)の〈コラボ〉っていう、老いてなお若者にムチ!みたいな強烈な例もありますが。。。。日本では井上陽水とかがこれにあたるのかな?う〜〜ん、ちょっと到達した世界観が違いすぎるか(苦笑)。。。。


これでこの話を終わりにしたいのだけれど、もしもここまで読んでくれた方がいらっしゃるなら。。。。そう、ジョン・レノン(John Lennon)のL.Aでの所謂「失われた週末」時代の、ニルソン(Harry Nilson)、エルトン・ジョン(Elton John)、ジェシ・エド・デイヴィス(Jesse Ed Davis)との作品はどうなの??そもそもヨーコ・オノとの作品こそ〈コラボ〉でしょ??って突っ込みどころは満載ですね(苦笑)。敢えて、そこには言及しませんでした。あまりにも〈痛み〉、〈喪失〉、〈嫉妬〉そして〈求愛〉といった感傷的なものをベースとしたコンプレックスが強過ぎて、純粋なアートとしての〈コラボ〉と判断出来なかったんです。言うならば、これは〈コラボ〉ではなく〈人生〉だと思いました。
そう考えてみると、ビートルズ(The Beatles)。ここにあるまずはレノンとマッカートニー、そしてジョージ・ハリスン(George Harrison)、リンゴ・スター(Ringo Starr)の4人の残した作品こそ、音楽からアート、ファッションに至るまで、その影響力全てに於いて完璧な〈コラボ〉だったのかも知れません。前段で触れたマッカートニーがビートルズ解散後も執拗に音楽的なパートナーを求め続けたって言うのも、レノンとの〈コラボ〉の想い出に対する喪失感が齎した「業」なのかも知れません。
最後に身もふたもない話になっちゃったなぁ。。。。


閑話休題!
そうそう、お店に於ける静謐で上品(と自負)な〈コラボ〉の話をさせて下さい。
ROCKER AND HOOKERの中野恵介と、お店の上層2階で展開しているアンティーク家具&ジュエリー・ショップ=unikkの金井宏眞が、初めて「共同作業」、すなわち〈コラボレーション〉にトライするって聞いて。おォッ!って気持ちと、ようやくそこに来たネッ。。。。って気持ちが半々。嬉しい!
うん、うまく行くはずなんですよ。これは〈競演/共演〉なんて高尚なものじゃない。もっとハングリーで切磋琢磨されるものであろうことを期待している。予定調和は絶対に許されない。だから、今月は余談ながらも、長々と自分が愛する音楽界の〈コラボ〉の厳しいエピソードの数々を書いてきたわけです。こうした緊張感に一歩も引けをとって欲しくないぜ!っていうメッセージを込めて。
もちろん、この二人でやるんだから、我々スタッフ陣も本気で世に問う作品を送り届けたいと思ってます。発表作品、スタイルにご期待下さい!


〈コラボレーション〉って、いわば知性と感性領域における恋愛みたいなもんなのでしょうかね。。。。


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