Rocker and Hooker

マイアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)。
その名前の響きを聞いて思うこと。

それは、天国において最も哀しき、徒花の刹那。
それは、地獄において最も芳しき、妖花の香り。
そして、それら全ての概念を凌駕する、圧倒的に美しくキュートなアイコン。
そして、それら全ての観念を標榜する、圧倒的に破滅的でシュールな存在感。

1960年代、ロンドン。可憐に、華やかに咲いた花一輪。時代の全てを象徴する程に美しい花一輪 良家の子女は当時の全世界を席巻していたフラワー・ムーヴメントに近接し、まさに Play with fire の感覚のごとく、混乱と混迷の中、その 時代にしか存在し得なかった〈ポップ・カルチャー〉に耽溺し、享楽の中に自らを放っていった。 それこそが、やがて訪れる彼女の強靭なドラマの兆し。そして同時に誰もが知る彼女の人生におけるポピュラーなドラマへの兆し . . . .
もしもその時に、その運命の〈彼岸〉への道筋へ彼女の手を引いたものが居たとしたなら?そして、もしかしたら、そんなことに伴う全ての ゴシップすらも彼女の人生観全般の中においては、あたかも塵のようなものであったとしたならば? もしかしたら、〈事実〉は残るけれど、たぶん、そこに〈真実〉はなかった?


そう、だから今も「マリアンヌ・フェイスフル」を、誰も知らない。

例えば、あたかも自己とその思想/主義の無き飾り物の人形のように扱われ、露出されたそのデビュー時期において、実際は本人の中で冷静 かつ客観的に分析されていた、移り変わるシーンに対する懐疑的な無常観?


例えば、世界的にロマンティックでスキャンダラスなニュースとなってしまった、ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のミック・ジャガー(Mick Jagger)との出逢いと、世間の注目の的となってしまった恋愛の日々、その破局のストーリーと彼女が選んだその後の人生の意義?

そして余談ではあるが、例えば、日本のあまりにも有名なアニメ作品のセクシー・アイコン=『ルパン三世』における峰不二子のオリジナル・モチーフとも言われているその主演映画『あの胸にもう一度(英:The Girl On A Motorcycle/仏: La Motocyclette)』(実は原作は澁澤龍彦氏も翻訳に関わった作品のある著名なシュールレアリスト=アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ/André Pieyre de Mandiarguesによるもの。映画はズバリ失敗作だと思う)の中での、他の全てを圧倒し、映画自体を 彼女のプロモーション・ビデオのごとくにしてしまったその存在感?
いや、例えば その後のスキャンダラスで悲劇的かつ、破滅的な逸話の数々?
例えば .... 切りのない、彼女の人生における「例えば」....
それは、きっとあなたが、ただ〈聞いて〉知っているだけのストーリーだ。 そしてその後の彼女のストーリーさえも、もしかしたら、その延長に過ぎないのかもしれないとさえ思わされてしまう、そのドラマツルギーの衝撃。


オリジナル・ナンバーのリリースから四半世紀後、1990年に再度歌い直された、かつての儚い夢のようなセンチメンタリズム、楽曲 『涙あふれて(As Tears Go By)』は、本来楽曲がそうあるべきであった姿をもってマリアンヌ自身により再演され、そしてそのスタイルはその後の彼女の王道となり、彼女のキャリアにおける第二章とでも言うべき〈カリスマ〉を提示した。音楽シーンにおける彼女だけを考えると、 まるで「こうなる」ことが予め十代の頃より計画されていたかのごとく。 奇跡の復活?必然の在り様?いや、またしても本人の意志はここでも運命に弄ばれたということ? しかし、「音楽的」には間違いなく祝福すべきカムバックであったのだ。



1970年代後半から現在に至るまで、彼女は二回目のカリスマ(‘60年代とは意味を大きく異にするが)としてのキャリアの評価を得ている。
独自のスタイルのシンガーとして、女優として。
デヴィッド・リンチ(David Lynch)映画では欠かせない音楽作家=アンジェロ・バダラメンティ(Angelo Badalamenti)とのコラボレーションやベック(Beck)との旺盛な共同作業で次々とオルタナティヴな傑作を送り出し続けている音楽アーティストとしてのその様はもちろん60年代のマリアンヌからは誰も予想出来なかったスタイルとクオリティだ。


ここ日本でも単館系での公開ではあるが、温かい感動と穏やかでハッキリとしたムーヴメントを起こした映画『柔らかい手(Irina.Palm)』(2007年制作)におけるキュートで家族への愛情に溢れて、それでいて〈お見事!〉なエッチな雰囲気をも漂わせるオバアちゃん役を演じきった彼女は、もうスウィンギング・ロンドンの幻に翻弄されているマリアンヌではない。
どちらの局面に於いても近年の彼女が発表/関連している作品の完成度の高さは 至高のものだ。 現在の彼女のアーティストとしての素晴らしい評価と、60年代の彼女とを結びつけて語る必要性を、もはや我々は求める必要は無いであろう。
どちらも〈唯我独尊〉の美しさ。美しさの意味は変わっているかも知れないけれども .... マリアンヌ・フェイスフルは、こうして時代を超越したヒロインとなったのだ。


ROCKER AND HOOKERに隣接するギャラリーSOCIAL TOKYOで6月20日より開催される写真展『Marianne Faithful〜Images from her swinging London days~Photos by Gered Mankowitz/マリアンヌ・フェイスフル写真展 Photos by ジャレッド・マンコヴィッツ』 は、まさにマリアンヌ自身と、彼女の1960年代のイメージを伝説的なものとして記録/記憶させたカメラマン、ジャレッド・マンコヴィッツ による、日本のファンに向けたささやかな贈り物だ。彼女自身もこの写真展の開催を楽しみにしていてくれると聞いている。SOCIAL TOKYO が2013年の現在も作品やパフォーマンスを通じてそのカリスマを燦然と輝かせている彼女のキャリアに敬意を表して開催するこの写真展に合わせて、ROCKER AND HOOKERでも過去の二つの展覧会同様、ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)に続いて展覧会とのコラボレーションでオリジナルのフォトTシャツを販売する。美しいマリアンヌのこうした写真がフォトTノアイコンとして選ばれるのは世界初だと思う。ほとんどそう、前記のあの映画のバイカー・モチーフばかりだから。本当のマリアンヌは!?っていう、我々なりの提言です。

期間中、世界中で、今「ここ」以外で、彼女についてこんな体験をすること、特別な感慨に耽る事は不可能なのだ。そして驚いたことに展覧会開催から二日目の6月22日、ヨーコ・オノの主宰するイヴェント=MELT DOWNにてマリアンヌがライヴで復活することが報じられた。もう世界を挙げて、歓喜/狂喜のマリアンヌ祭りなのである!!

マリアンヌ・フェイスフル。 繰り返して言おう、1960年代の華やかなりしロンドンに咲いた、最高に美しくキュートなアイコン、あなたが今観ているのは、まさにそれに他ならない。
そして、それこそが、その時、彼女の全てでもあったのだ。



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